麻生英樹顧問「withコロナ社会における ICT/AI の役割」


SCSK株式会社 技術戦略本部 顧問 麻生 英樹1981年東京大学工学部計数工学科卒業。1983年同大学院工学系研究科情報工学専攻修士課程修了。同年通商産業省工業技術院電子技術総合研究所入所。1993年から1994年ドイツ国立情報処理研究センター客員研究員。
2015年度から国立研究開発法人産業技術総合研究所・人工知能研究センター副研究センター長。現在、国立研究開発法人産業技術総合研究所人工知能研究センター招聘研究員。経験から学習する能力を持つ知的情報処理システムの研究に従事。2019年9月よりSCSK(株)の顧問就任。

新型コロナウイルス感染症 COVID-19 が依然として全世界で猛威をふるっています。この原稿を書いている2020年の8月末の時点では、収束までの道筋はまだ見えていませんし、たとえ今回のパンデミックが収束しても、また次の新たな感染症が現れる可能性も考えられます。COVID-19 によって、私たちの社会生活は大きな影響を受け、苦しまれている方々も多くおられます。

そうした状況に対処するため、「新しい生活様式」「ニューノーマル」などの言葉で、感染の拡大と医療の崩壊を防ぎつつ、社会・経済活動を持続させるための生活、社会、価値観、科学技術などの在り方が懸命に模索されています。

日本政府の中でも、たとえば、内閣府の下の有識者懇談会「選択する未来2.0」において、「(新型コロナウイルスによる社会の)変化を変革の契機と捉え、『選択する未来 1.0』(2014年11月)の評価・検証も踏まえ、コロナショック後を見据え、我が国が選択すべき未来とその実現のための方策」が検討され、より広い視点から、社会全体に対する多くの提言を含む中間報告が 2020年7月に取りまとめられています 。

そこで述べられていることは、単に生活様式を変えるだけではなく、社会全体、すなわち、共有される価値観や、それを実現するための社会のインフラストラクチャを変革してゆくことの必要性です。特に、日本においては、これまでも指摘されてきた、いわゆる「デジタル化」「電子的データの利活用」「産業構造のサービス化」の遅れが、今回の COVID-19 への対応の中で顕在化したと言われています。

逆に言うと、今回の危機の中で、これまでなかなか進まなかった社会の仮想化、サイバー化が、テレワークを中心として大きく進んだ面があります。今後、これを逆戻りさせることなく、社会構造、産業構造、社会的価値観の変革につなげてゆくことが求められています。以下では、そうした中で、ICT/AI がどのような役割を果たすのかについて、少し考えてみたいと思います。

インターネットが育んだAI技術

前回の寄稿では、「人工知能とは何だろうか」という文脈の中で「その始まりはインターネットだった」ということを述べました。繰り返しになりますが、現在のAI 技術の発展は、AI を賢くするための機械学習に利用できるデータの増加に支えられており、それを可能にしたのは、情報検索、ネット販売、ソーシャルネットワークサービスなどの、インターネット、すなわち、PCとクラウドのネットワークによって急速に発展したサイバー空間を活用したサービスです。

AI 技術を導入しようとするときに、最初に問題になるのは「何のために導入するのか」ですが、その次には「必要なデータをどうやって継続的に収集するのか」が問題になります。データは自然には生まれません。推薦システムや各種のポイントカードが典型的に示しているように、データを継続的に収集するためには、ユーザに対して価値を提供するサービスが必要であり、その対価としてユーザが提供するデータ、行動や購買の履歴、それに伴う写真、音声、テキストなどのデータが利用可能になります。

そうしたインターネットとクラウドを活用した新しいサービスが生まれたのは、21世紀が始まった 2000年前後の10年くらいの間に集中しています。Amazon は 1995年にいち早くオンライン書店サービスを開始しました。Weblog(ブログ)のサービスが始まったのは1997年頃で、Google の検索サービス開始が 1998年、Facebook の創業は 2004年です。

インターネットが、特殊なユーザだけのものではなく、社会全体のインフラとして認知され始めたことで、様々なアイデアの「揺り籠」となり、それを使って新しいサービスを社会に提供しようという発想を持つ人が増えました。その結果、米国を中心にたくさんのスタートアップが生まれ、そして、生き残った少数のスタートアップが巨大 IT 企業へと育ち、その流れの中で大規模なデータを利活用するAI技術が急速に発展したのです。

「インターネット」から「サイバーフィジカルネットワーク」へ

これも前回書いたことですが、現在では、PC+クラウドであったインターネットが IoT(Internet of Things)すなわち、スマートフォンを代表として様々な物に組み込まれたセンサとクラウド、そしてロボットなどのアクチュエータをネットワーク化したものへと拡がって、より実世界に密着したデータ収集と利活用に基づく新たなサービスを実現しようという機運が高まっています。IoT という言葉はインターネットの拡張という印象が強いため、サイバーフィジカルシステム(Cyber-Physical System: CPS)という言葉も使われていますが、言葉としては、インターネットと対比させる形で、サイバーフィジカルネットワークと言うほうが良いかもしれません。

呼び方はいろいろあるにしても、物理(Physical)空間とサイバー(Cyber)空間を密接に結合し、データに基づいてサイバー空間に世界モデル(World Model)すなわち、シミュレーションを可能にするようなモデルを構築し、リアルタイムに近い速度で情報を更新し、プランニングや最適化をした結果を実世界に反映させる、という枠組みの中で、ヘルスケア、見守り、スマートシティ、スマート工場、スマート農業・漁業、スマート物流、などの様々な分野において、汎用性の高いプラットフォームのレイヤから個別のサービスプラットフォームのレイヤに亘って、様々なプレイヤーが覇権を争っているのです。

小型化・柔軟化・省電力化するセンシングデバイス技術、5G を含んだネットワーク技術、AI に象徴されるデータ分析技術、そして、情報の可視化やロボティクスなどの実世界への介入技術、といった必要な要素技術を熟成させて社会にしっかりインストールし、個別のサービスプラットフォームのみならず、様々な新しいサービスのプラットフォームが次々と生まれるような環境を創り出すことが重要ですが、実世界のフィールドとの結びつきが強まったことによって、どんなデータをどう取るべきか、も含めてセンシングのコスト、ステークホルダの数、現場の多様性、プライバシーやセキュリティなどのリスク要因、等が増加し、インターネットサービスに比べて、インフラ整備の困難さは増しています。

そこを、米国のように、巨大企業と周辺のスタートアップ中心に進めるのか、中国のように国家中心で進めるのか、あるいは、異なるやり方を切り開くのか、日本の社会にあったスタイルで進めてゆくことが求められています。量子コンピュータのような新たな技術も、そうした中で役割を得て普及してゆくことになるでしょう。

COVID-19 との関係でいえば、それは、社会全体の「仮想化」「遠隔化」につながる技術でもあります。たとえば、私が勤務する産業技術総合研究所の情報・人間工学領域でも、情報・人間工学ができることとして、提言「With/Postコロナ社会に向けた情報・人間工学のビジョン」を取りまとめていますが、遠隔就労や遠隔生活が重要な部分を占めています。

また、人間拡張研究センターが取りまとめた、提言レポート「拡張テレワークとその展望-ポスト・コロナ社会を見据え、新しい働き方を支える技術」や、人工知能研究センターが参画している人工知能研究開発ネットワーク(AI Japan R&D Network)が取りまとめた、参加機関による、より具体的な「新型コロナウイルス感染症対策に係るAIを活用した取組」 の中でも、サイバーフィジカルネットワークを使った仮想化、遠隔化技術が取り上げられています。

社会を変えるような新しい仕組みを構築しようとするときに、いつも鶏・卵の問題として認識されるのが、サービスをつくるにはインフラが必要で、インフラが整備されるにはそれを使うサービスが必要、というデッドロックです。特に、日本の社会は保守性が高いと言われています。伝統や変わらないことを重んじる文化は、多くの貴重な文物を生み出していますが、そのことが逆に、新しい試みにリソースを割くことを妨げがちです。

しかし、鶏-卵のデッドロック状況はブートストラップで解決されることが多く、インターネットの場合には、ネットワーキングの技術自体は軍事利用目的で発達し、その後、メールやコミュニティなどの形で利用が進み、そして、「WWW」つまり、相互にリンクされた分散データベースの概念が大きな転機になりました。この問題に対して、COVID-19 や、地球温暖化による災害の頻発などの脅威は、大きな厄災ではありますが、社会の仮想化・遠隔化への強いニーズを生むものでもあり、社会を変革するための梃子として働く可能性があると思います。

分散ロボティクス・ネットワークロボティクスの重要性

インターネットにおける WWW の概念に対応するものとして、サイバーフィジカルネットワークにおいては、センサやアクチュエータも含めた分散ロボティクスやネットワークロボティクスの概念が重要になるのではないかと感じています。COVID-19 の感染拡大予防としてテレワークが大きく進みましたが、その多くはまだ、遠隔会議にとどまっていると思いますし、遠隔化可能な職業とそうでない職業のギャップが拡大しています。

今後、遠隔会議をテレイグジステンスや遠隔操作の領域に広げてゆくことが現在の大きな課題の一つです。実世界の状態をより詳細にセンシングして、より緻密に操作介入するような遠隔サービスが可能になれば、そこで収集されたデータで対象のモデルを作って仮想化を進め、シミュレーションをして最適化することも可能になります。

元来、知能ロボティクスは日本が強い分野でしたし、空間の移動、医療・介護、ものづくり、農業や漁業などの実世界の物理的サービスにおいては、優れたフィールドと人材が蓄積されていますので、分散ロボティクスの概念を活かした、グローバルなサービス基盤が日本から創出され、その上で多くの具体的なサービスビジネスを花開かせてゆける可能性は十分にあると思います。

ここで「ロボット」と言っているものは、いわゆる産業用ロボット、手術用ロボット、ヒューマノイドのようなものに限りません。ドローンはもちろんですが、自動車も、ビル・レストラン・工場・発電所などの環境も、さらには、ひとつの街も、社会全体もロボットとして捉えることが可能です。

たとえば、先日、テレビのニュースで、翌日の熱中症の発生予測をしていました。タクシーの客待ち予測システムなどと同様に、これも、多数の地域の気象、人口などのセンシングデータから現象のモデルを作り、そこでの計画に従って多数の救急車や病院が実世界で働くサービスの一部と言えます。こうした予測によって、ひっ迫している救急車や病院のリソースを効率よく活用して待ち時間を減らすともに、必要であれば、遊休している移動手段や施設の新しい利用法につなげることが期待されます。また、ドローンや野菜工場を使った農業の遠隔化、漁業における養殖の遠隔化、なども進みつつあります。

COVID-19を超え、持続可能な社会の実現に向けて

遠隔化によって失われるものもある一方で、遠隔化がもたらすものも少なくありません。たとえば、将棋のようなゲームは対面で行われていましたが、遠隔化、すなわちネットでの対戦、対局の普及が、埋もれていた才能の発掘や全体のレベルの底上げにつながりました。また、ネット上の対戦で収集されたデータは、ゲームのプログラムの性能向上にも役に立ちました。その結果として、藤井聡太八段のような新世代の棋士=ハイレベルな専門家が生まれています。

ネット上の対戦で収集されるデータは、ゲームのプログラムの性能向上にも役に立ちました。様々な実世界のサービスが遠隔化されることによって同様のことが起こり、遠隔地でも一定の水準のサービスが受けられるだけでなく、そのサービスに関するデータの収集や人材と AI の育成につながってゆくはずです。

こうした新しい試みを、やらない理由を探して否定するのではなく、次々と生みだすようにするには、たとえば「選択する未来2.0」でも松尾豊委員などが言われているように、機械学習などの技術だけではなく、それを使ったサービスとそれが生み出す社会的価値についてもあわせて考えられる人材が必要になります。

分業もまた、20世紀の発展を支えた優れたシステムですが、情報技術を利活用することで、社会に蓄えられた知識へのアクセスが飛躍的に容易になっている現在、従来の分野の壁を超えた思考ができる人材が育つ環境を用意することが重要です。そして、さらに重要なことは、そうした人材が試行錯誤を容易に、低リスクで行えるような技術・社会環境や法制度を整備してゆくことが求められます。

COVID-19 の脅威に対して、感染予防やウイルス治療法、ワクチンや薬の開発が喫緊の課題であることは言うまでもありませんが、それにとどまらず、より広くて長い視野で、社会全体をインフラから変えてゆくことで、資本の暴走を緩和し、新たな感染症や、地球温暖化、プラスチックごみ問題、など多くのグローバルな課題のより根本的な解決と、誰にとっても生きやすい持続可能な社会の実現につなげてゆくことが重要です。

SDGs としてもまとめられているこうした問題は 20世紀の人類社会の急激な成長の負の遺産でもあり、21世紀の人類が取り組むべき大きな課題です。そして、そこにおいて、ICT/AI 技術=サイバーフィジカルネットワーク技術の果たす役割は、単なる合理化や効率化を超えて、社会における新たなサービス、新たな知の創成基盤として、非常に大きいと思われます。

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